HICPMメールマガジン第834号(2019.06.10)

みなさまこんにちは

皆様のご支援をいただき私の健康も徐々に回復し、HICPMの活動も私の健康に合わせて行なっています。HICPMの活動は、基本的に欧米の優れた技術経験に倣うということで取り組んできましたが、中でも住宅を取得した消費者が、「住宅を取得することで資産掲載を自タウ減していることに、私の「欧米からの住宅に関する技術移転」は集約できます。そこには人文科学(ヒューマニティーズ)として行われている欧米の建築設計教育があると思います。昨年北イタリアにアンドレア・パラディオの作品を見学に出かけたのも、今回ローマに出かけたのもその調査のためです。わずか10日間の旅行でお話しできることなどないに等しいかもしれませんが、私にとっては半世紀に渉る仕事ウィとおして必要な調査です。今回のローマの旅行で私が気づいたことをHICPMの会員の皆様に知っていただこうと思って4回ぐらいの連載でご報告いたします。ローマ旅行をご検討なさっておられる方のご参考になればと思っています。

第1日:日本出国とイタリア入国5月8日(水曜日)ANA,NH6670:東京(成田空港13:15発)イタリア(フェウミチーノ空港到着19:00)

到着後、ローマ(フェウミチーノ飛行場)から少人数(10人)の空港認可の「相乗りタクシー」で、ローマ市内のスペイン広場近くのホテル・コンコルディアへ(相乗り料金2人でEU)40)到着。空港からホテルまで、ちうと照合しようとしたが、どこを走っているかわからず、少し不安であったが、ホテルに直行し、ヴァチカンの近くを走ったことは分かった位である。適正な運賃であり、最も合理的な交通である。

ホテル、コンコルディア(チェックイン)でVISAカードが無効と指摘され、妻のカードでOKで無事チェックイン。。ホテルバーチャーはあるが、ホテルの宿泊者の保険としてクレジットカードの登録を求めている。帰国後、私の新規交換カードは私が持参していなかったことが帰国後判明した。

ホテルチェックイン後、休憩し、その後、暗くなってから、近くの街並みの様子を見るために街並み散策、地図をよく頭に入れてなく、道に迷い、1時間後ホテルに帰る。夕食は食欲なく、ホテルでは、持参していた食糧で済ませる。ホテルのある地理上の位置は、スペイン広場から徒歩で10分以内である。単純な地形であったが、ホテルの位置が道路の位置関係(道路の北側か、南側かといった基本的な理解)が曖昧な理解で迷ってしまった。アルツハイマー病になったらこんな状態になるのかなあ。海外旅行では、予めホテルの地理を頭に入れ、方位の確認することの重要性を感じました。

第2日:ローマ観光第1日目5月9日(木曜日)ボルゲーゼ美術館、ポポロ広場、スペイン階段隣のビル(英国詩人)

朝食事後のトイレでは軟便であったため、旅行中、トイレ探しも考慮にいれて、お漏らしがあっても対応できる厚手の下着で重装備した。お腹が安定したようで、この日だけではなく、旅行中、体調悪化することはなく、トイレ利用も順調で、計画通りの快適な旅行が出来た。

バルリーニ広場にある地下鉄駅M(メトロ)を事前に調べたところ、地下鉄駅が閉鎖されていた。本日の工程に地下鉄利用はないが、明日からの地下鉄利用する地下鉄駅は、M:スパニアー(スペイン広場)駅である。この日の訪問地、ぼるげーげ公園は、ホテルとの位置関係では、ホテルの北側の広い小高い丘にある。ボルゲーゼ美術館へは地下鉄を利用する必要はなく、ホテルからスペイン広場(階段)を経由してボルゲーゼ公園を通って、公園内にあるボルゲーゼ美術館に全工程徒歩で行くことにした。ホテルから公園までの街並みも、変化の富んだ街並みで楽しめる。

朝食後、ボルゲーゼ公園のある方向に向かいました。ホテルから東に行き、左折し、北に向かうグレゴリア通りに出ると、ミンニャネッリ広場がある。そこにはマリア像を円柱のてっぺんにおかれ、柱の根元には、旧約聖書の4預言者(モーゼ、エゼキエル、イザヤ、ダヴィデ)それぞれの性格を表す造形彫刻で座している。彫刻はいずれもバロック様式で一級品の彫刻である。これらの彫刻はルネサンスの思想に立って製作され、それぞれに何かを伝えようとしているバロックの彫刻である。柱全体が芸術性の高い彫刻である。彫刻は建築夜会が同様、その計画者と設計者が、それぞれの思想を作品を通して伝えており、それらの作品が伝えようとしていることを理解できるよう、欧米の芸術教育では、造形が伝えようとしている思想を理解する能力を育てることが重視されている。絵画、彫刻や建築には思想を伝える言葉が、形、装飾、詳細に盛り込まれている。それらの芸術品に盛り込められている言葉は、歴史文化を通して作られるもので、芸術家はその言葉を歴史上の作品を通して学び、そこで学んだ言葉を使って芸術の言葉を駆使して作品をつくることになる。芸術家はできるだけ多くのすぐれた作品を見て、芸術作品に使われている言葉を学ぶことになる。

スペイン広場、パルカッチャの泉、トリニタ・ディ・モンティ聖堂

ミンニャネッリ広場の北側にスペイン広場がある。そこの広場に中心には、かつて、ローマの西を流れるテヴェレ川が氾濫したとき、当地に流れ着いた伝説のパルカッチャ(ボロ船)を浮かべた噴水池がある。スペイン広場は、その北側に大きな会談が観覧席のように高く連なっていて、その階段のどこからも見下ろせる観光の中心になっている。そのスペイン広場の名前は、近くにスペイン大使館があったからである。古代ローマはスペインも含まれ、「ローマ皇帝としては、ネロを始め、スペイン出身の帝王も多数いた。この噴水池のバロック彫刻は、巨匠ベルニーニが手掛けた「バルカッチヤの泉」である。

スペイン広場に面して、その北側に立ちはだかっている高い丘の上まで、展望テラスを挟んで4段階にテラスでつながった魅力的な階段が造られていた。それがヘップバーンが登場した「ローマの休日」の最初の舞台となる大きなスペイン階段がある。その上部に2つの鐘楼が並立する建築で、構成されたトリニタ・ディ・モンティ聖堂がある。聖堂の前面には、この土地のランドマークとして、オベリスクを持った広場(踊り場)がつくられている。スペイン広場、スペイン階段、トリニタ・ディ・モンティ聖堂と一体に造形的な景観を形成している。

スペイン階段は、その途中に大きな広場(踊り場)が4つある階段で、そのテラスから、パルカッチャ(ボロ船)の噴水を俯瞰する眺望は美しい。そこから市街地の中に立っている眺望できる教会建築や、聖堂のドーム屋根が美しい景色になっている。スペイン階段に向かって右手の4階建てビルには、英国の詩人、キーツ、バイロン、シェリングがかつて生活していた住居がある。彼らは結核に罹患し、転地治療をするためにローマに来て生活していた住居である。今は詩人らが生活していた空間をそのまま生かし、詩人たちの関係資料が集められ、関係書籍と一体にした解説展示されている。現在は、英詩に関する歴史的観光地となっている。朝は場所の確認だけをし、夕方に再度訪問した。多くの英詩研究者と思われる人が訪問していた。

ボルゲーゼ公園とボルゲーゼ美術館

スペイン階段を登り切ったところにヴィラ・メディチ(フレンチ・アカデミー)がある。なぜか、その建築物を武装した衛視がいて、中に入るのは諦め、そこを迂回して、ボルゲーゼ公園に入った。その公園の西側のところにある丘が「ピンチョの丘」である。「ピンチョの丘」には、カルタゴ軍をポエニ戦争(BC202年)で破ったスキピオ・アフリカヌスが居を構えていたところである。その丘の東側には、ボルゲーゼ公園(80ha)が東に広がっている。この公園は、17世紀、パウルス5世の甥で、教皇から枢機卿に任じられたシピオーネ・ボルゲージの別荘の庭園として造営されたものである。そこには、沢山の胸像が並んでいたが、ボルゲーゼの関係者ではないかと思われる。ボルゲーゼのことは、デンマークのアンデルセン著森鴎外訳『即興詩人』に登場するイタリアの名家である。公園を横断して東北に向かう園内道路に沿って様々な公園施設で造られたボルゲーゼ公園を歩いて行った。その公園の東の端にボルゲーゼ美術館がある。ボルゲーゼ美術館の予約見学時間の予約が13:30であるので、見学に先立って予約券と入場券への交換を行ない、時間の余裕が1時間以上あったので、早めの昼食を美術館のレストランで行なった。ボルゲーゼ公園の植物や鳥の飼われている施設や今は使われていない施設を見学した。その後、園内観光遊園列車に乗って40分近く園内観光を行なった。

その後ボルゲーゼ公園の中心施設のミュージアムで絵画と彫刻を見学した。そこには、カラバッジョの絵画「果物籠と青年」、ベルニーニの多数の彫刻やラファエロやティチアーニの16世紀の絵画(フレスコ画)、18世紀の英国の絵画(自然を描写した絵画)が見られる。ボルゲーゼ美術館の庭園は18世紀にイギリス風形式公園に作り替えられたそうである。ボルゲーゼ美術館の見学終了後、疲れたので、レストランでワインを飲んだ。

ボルゲーゼ美術館見学後、広大なボルゲーゼ公園を北西に横切って、国立近代美術館を訪問した。谷間に走る道路に面して玄関があり、玄関前の広場には、大きな多数の黒い熊たちの彫刻がのどかな雰囲気を作っていた。美術館そのものは近代美術である。そこでの展示物は、時代的主張のある絵画、彫刻であるが、ローマの歴史と比較して、近代という一瞬の時代を主張した「浅い感じ」で、展示物全体が、急激に変化する時代芸術が集められているが、社会に根付かず、変化する時代感覚を著わすもので、時代とともに忘れられていくように軽く感じられた。

ポポロ広場とバロックの都市計画

国立近代美術館を出て、森の中を走る小道の長い階段を上り下りしてボルゲーゼ公園を出て、丘陵地からローマの市街地の中の一つの中心地、ポポロ広場に向かった。大きな森を抜け出して都市城壁に囲われたポポロ広場の北に開かれた門の間から、2つの「双子の聖堂」が、ポポロ広場に面して立っている様子が見える。ポポロ広場には、BC13世紀初代皇帝アウグスツゥスがエジプトから運ばせたオベリスクが立っている。そのオベリスクから前方に南下する道路を中心に、左右に放射状に16世紀ラファエロの発案で3本の道路は作られている。このルネッサンス期に作られた3本の放射状に作られた通りは、バロック期のローマの都市の中心を構成する道路である。ぽぽろ広場から、この3本の道路の中心の幹線のコルン道路を南下すると、コルン広場を経て、ベネチア広場に続く幹線のコルン通りである。コルンとは柱(コロン)のことで、5賢帝の中の最後となるマルクスアウレニュウスの像を柱の頂上に乗せ、ローマ帝国の繁栄の歴史的偉業を、記念柱の表面に螺旋状に描いた偉業の歴史顕彰を記録した柱(コロン)である。3本の道路の中心のコルン通りの右手にあるリベッタ通りに面してアウグストュス帝の廟(BC14年)があるが、目下工事中で、大規模な工事のため敷地全体が塀で囲われた現場の雰囲気しか見ることができなかった。そこで工事現場を南側に迂回して、東に進んだ先に、コルン通りとハフイーン通りがあり、その先にスパニッシュ広場があった。

スパニッシュ階段の、向かって右(東)のビルの3階、4階にある英国詩人キーツ、バイロン、シェリングの歴史記念館は、かつて英国から転地療養に来ていた結核に罹患してローマに転地療法に来ていたキーツ、バイロン、シェリングのローマで生活していた当時の住宅である。それを案内書で知り、この記念博物館を訪問したが、私達と同様な見学者たちの訪問者が資料探しをし、資料を購入しているの人たちが多いことを見て英詩への関心の高さに驚かされた。英国詩人の記念館を見学後、スペイン広場の雰囲気を楽しんでホテルに帰ることにした。夕食はホテルの近くのレストランで、イタリアらしい雰囲気を楽しんで、ピザと美味しいサラダとワインで楽しんだ。

ローマこれまでにも2回、団体観光旅行で放免しているが、見るものが多すぎることと、決められた刊行をする旅行であったため、殆ど記憶に残っていなかった。今回は3カ月くらい前からローマ案内を10冊以上読み、事前に訪問計画を作成したが、その計画は変更を繰り返し、予定通りの見学ではなかったが、限ら手た時間の中の選択で満足できた。

(NPO法人住宅生産性研究会理事長 戸谷 英世)

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