HICPMメールマガジン第760号(2018.02.26.)

みなさんこんにちは

 

冬季オリンピックは大きな感激を与えてくれました

平昌オリンピックが昨日閉会式で幕を閉じましたが、連日TVで人間の可能性に驚かされ続けました。すべてのチャンピオンたちが、折れそうになった心を周囲の人たちに支えられて、表彰台に立っている物語は視聴者に感動を与えてくれましした。日本の女子スケートではオランダからコーチを雇い、食事の指導から始め解説を聞き、あらためて「科学的な取り組み」の重要性を感じました。

「このような感動が日本の街づくりや国づくりにもたらされないものかと」改めて考えさせられました。日本の街づくり、国づくりも同じこと(科学的な取り組み)が必要にされており、国民の学識経験とそのもとになる教育を行なうことの重要性を改めて考えさせられたところです。

 

「日本の町が醜い」ことは、欧米人からよく聞かされるだけではなく、このことは、世界の「街歩き番組」を見たり、私自身、各地を回って感じます。観梅の季節ですので、昨日は掛川までで負けて、サッカーワールドカップ日本代表チームが合宿した練習グラウンド葛城「北の丸」と近くにある神社に隣接するしだれ梅の梅林に出かけて見ました。今年は寒さが強く、梅の開花は少し遅れ気味でしたが、寒風の中でチラホラ咲き始めた梅は、自然の力を感じさせてくれました。

 

日本の住宅と日本の景色

昼食の会場となった葛城「北の丸」(0120-211-489)の建築物は、豪快の柱・梁で構成された寝殿造りを連想させる多くの建築物を渡り廊下でつなぎ合わせた豪農の屋敷で、その庭にたくさんの紅梅、白梅が咲いていました。東京から高速道路を使ったバスツアーですが、早朝、澁谷に集合で出かけ、バス発車すぐ居眠りを始め、目が覚めて高速道路を降りたところは静岡県掛川でした。そこでの沿道の景色は、日本の住宅会社が「洋風住宅」といって建設してきた住宅群の先に日本の建築がありました。そのコントラストは、「洋風住宅」国で、「和風住宅」を見る経験でした。

 

KIHFの経験:カナダ人建築家の日本の「洋風住宅評」

輸入住宅政策を取り組んでいたHICPM創設準備の1994年に、神戸市からの要請を受けて、KIHF(神戸インターナショナル・ハウジング・フェアー)を三菱商事他国内の商社等4社で共同体を構成して、全米ホームビルダーズ協会(NAHB)の後援を受け、NAHB・IBSと同様な趣旨のショウを神戸市で3日間開催したことを思い出しました。神戸市内3カ所で、8棟11戸の米国とカナダの設計者に設計を依頼し、両国からの建材を輸入した輸入住宅を建設しました。そこで建築した輸入住宅は3日間実施した20近いセミナーの教材にされ、KIHF終了後販売された。モデルホームの企画と建設は、米国とカナダの建築家と住宅産業の協力を得て、エー・ビ―・シー開発がすべてのアレンジを任された。私がKIHFのモデルホームの企画建設と技術セミナーの企画と実施を担当しました。

そのモデルホームの設計に当たり、推薦されたカナダの建築家に設計依頼をするために出かけるとともに、日本国内事情を知ってもらうために、国内の住宅地の案内をした。カナダの建築家はそのときが最初の日本訪問で、日本の住宅の予備知識がありませんでした。こちらの依頼に応えるべく真剣に現地を調査してくれました。神戸・大阪周辺の主だった住宅地を駆け足で見て回ったとき、その建築家から「先ほどから洋風住宅と和風住宅という大きなカテゴリーて説明してもらいました。私も建築家で、欧米の住宅は見聞してきましたが、先ほどから紹介された洋風住宅はどこの国の住宅をモデルにしているのですか」と尋ねられ、回答できずにいますと、「あなたから洋風と説明された住宅こそ、日本でしかない和風住宅ではないですか」と言われました。今回掛川の農村に立っている住宅の多くは、日本では「洋風住宅」と言われる「輸入住宅」政策です。最近その頃のことを思い出し、日本では明治の近代建築受け入れのときにも、昭和の輸入住宅のときにも、欧米の歴史・文化を学ぶのではなく、「形を真似る」ことに追い回されて、日本人が考える「洋風住宅」を建ててきたことに気付かされました。

 

『欧米の建築家・日本の建築地』の作業で分かったこと

そのころからの私の半世紀の住宅産業との関係を基に、目下『欧米の建築家・日本の建築地』(井上書院)として、3年がかりで作業をし、連休頃を出版目標に本の政策にかかっています。「住宅を取得して資産を失っている日本人」と、「住宅を取得して資産形成をしている欧米人」の最も大きな違いは何だろうかの疑問に答えることが、最初の取り組みでした。

そして、原因を追い詰めていくと、「住宅設計を人文科学として教育している欧米の建築教育」と、「建設工学として欧米の建築の模倣を行なってきた日本の教育」の違いに辿り着きました。この本では「欧米の建築教育でなぜルネサンス建築教育を行なったか」、「日本ではなぜ明治維新後に建築教育としてルネサンス建築教育を行なったのか」に遡って調査研究を行ない、そこでの結論を取りまとめました。

 

外国で見せられた日本人を逆なでする「和風住宅」

以前、ヨーロッパに出かけたとき、現地ガイドから日本建築デザインとして人気のあった建築を見ませんか」と誘われ見学しました。その建築は私の建築知識では和風建築ではなく、日本風を誇示した建築でした。建築デザインは国の文化を表現します。「日本建築の建築文化の性格」ですから、寝殿造、書院造など、神道と仏教の宗教精神が反映されています。洋風住宅のルネサンス建築にはヘレニズム文化とヘブライズム文化が基礎になっていて、ヨーロッパのキリスト教国をイスラムと対決させるために取り組まれた文化運動でした。そのため、宗教を外れたルネサンス建築デザインは存在しません。

 

同じ日本人として認められない「和風住宅」

掛川で建築されたほとんどの住宅は、輸入住宅政策の成果で住宅産業が取り組んできたものです。輸入住宅には、日本の「物づくり」の教育と政策が丸出しになっていました。このような精神を失った「洋風住宅」を見た外国人は、建築だけではなく、それらで生活している日本人を文化的に尊敬できないと思いました。「自分のお金で自分の住宅を建築することに他人は口出しするな」と言われるかもしれません。私たちが観梅した「北の丸」は、日本の建築文化を生かした建築物でした。「北の丸」ほどの大建築ではなくても、山のすそ野の住宅は、僅かですが瓦の載った切妻屋根の住宅は、書院造を基本にしたもので、なかには、唐破風の住宅もありましたが、日本の建築デザインとして誇れるものだと思いました。輸入住宅として建てられた住宅の中にも、例外的に、ジョージアン様式の住宅もありました。多分欧米人が見ても違和感なく、日本に欧米建築を正しく理解してくれていると感じたに違いありません。

 

建築設計とは「建築用語」ヲ使って建築思想の伝達

建築のデザインとは、アーキテクチュラル・ボキャブラリー(建築用語)で、建築物の形態、建築詳細、建築装飾を構成し、建築主がその建築を通して社会に訴える思想を表現するものです。欧米では、大学や高等建築機関の建築学科で「建築用語」を学び、それを使って建築設計を行ない、建築家は建築主に代わって、その思想を建築デザインを通して社会に訴えています。それは古今東西全ての建築デザインに共通し、日本の邸宅建築や社寺仏閣も例外ではありません。

明治の日本では不平等条約を改正するため、当時欧米で盛んに建築されていたルネサンス建築を、欧米以上の高い精度の建築で建てることを誇張し、「不平等条約改正」を欧米に訴えました。鹿鳴館のダンスパーティや明治天皇が洋装をされ、椅子式生活をされたのも同じ「時代的取り組み」だったのです。しかし「和魂洋才」と言って「大和魂」を変えるなと教えたのです。龍谷大学(京都)のようにルネサンス建築の仏教寺院こと日本の「和魂洋才」の考え方です。『欧米の建築家、日本の建築士』では、私の官僚として建築士法を所管していた時代から「輸入住宅」時代の行政経験の民間の住宅産業時代の経験をまとめた日本と欧米の比較で、私自身この本の制作を通して発見したたくさん勉強結果です。

 

 

連載している「注文住宅」の続きを以下に掲載します。

欧米の「ストックの住宅」政策

日本のような「フローの住宅政策」が住宅政策として行われている国は、世界中に見られません。「フローの住宅」とは、住宅を流通させることで利益を得ようとする政策ですから、新築住宅建設や既存住宅の流通業者本位の住宅政策と言い換えることもできます。本来、住宅政策は住宅により家族の幸せにする政策ですから、住宅政策と言われるものには「ストックの住宅」しかなく、日本における「フローの住宅」政策で住宅を取得することで、住宅を取得した国民の幸せを実現出来るものではありません。世界の住宅政策は、例外なく「ストックの住宅」政策です。「フローの住宅」として行われている日本の住宅政策は、日本でしか行われていないスクラップ・アンド・ビルドの住宅政策で、GDPを最大にする政策や景気刺激といった経済政策として行われる住宅政策のことです。

 

「建替え住宅」政策は「フローの住宅」政策

政府自身もこれまでの住宅政策では「建て替え住宅」政策を展開してきました。建て替え住宅の対象になる既存住宅は建設廃棄物であるとこれまでも言い、プレハブ住宅振興のため既存の木造をスクラックしてきました。その後にプレハブ住宅をビルドしてきたのですが、その目的は住宅を建設するために資金を引き出すための経済政策が目的で、住宅購入者の資産形成など考えていません。その政策目的は住宅を取得・保有することを目的にするものではないから、住宅所有者の利益を目的にしてはいません。

「スクラップ」をされるのは国民(消費者)で、それは高額な買い物として購入した住宅を建設廃棄物にすることで、その損失は住宅を持っている消費者です。欧米の「ストックの住宅政策」では、建て替えにより、その後ビルドされる住宅は、住宅産業本位の住宅は、独占価格販売で巨額な利益を得ますが、住宅購入者はその利益の分配に与れないどころか、購入時に詐欺価格で損失を抱えることになります。

住宅を流通させることで得られる利益を目的にする政策です。日本政府は公然と住宅産業は流通サービス業であり、住宅を流通サービスする業者の利益を中心にしています。住宅政策は住宅を取得する人に住宅によって「家族の幸せ」をもたらす政策であることは、世界共通であることは改めて説明するまでもないことですが、わが国では、改めて、住宅政策は「ストックの住宅」政策である説明を始めなければ、消費者の幸せが住宅政策目的にされていないと疑われるところに、日本の異常さがあります。

 

資本家の立場で見た「ストックの住宅政策」

これまで「ストックの住宅」と住宅政策の説明をするときに、改めて、住宅政策の問題は「ストックの住宅」と修飾語をつけなければならなくなっている異常さを考え直したとき、同じ異常さが、「土地」と「株式」の日本経済の中枢でも表れていました。欧米では資本と土地は、キャピタル(資本)で、資本家は資本の経営で利益を上げると考え、資本の売買で流通利益を行なうことは、商業資本家の行うことであって、一般の産業資本が行う生産による労働生産による主たる業務ではありません。その理由は土地や株式を「資本として所有し、そこで労働をすることで労働価値という労働価値を創造しての利益(キャピタルゲイン)を得る」ものであることは、世界の常識があります。日本では「土地ブローカー」と「博打打」とも言われる「株屋」という土地や株を売買する商人が、取引差益を得ることと同様のことが、住宅政策でも重要視されています。わが国ではGDP最大化の経済政策が国民を豊かにすると信じられ、住宅政策の評価も経済効果におかれています。そして、同様な判断で、株主(資本家)と地主(資本家)は、いずれも取引時点の利益に関心がもたれています。しかし、わが国では取引後のストックになった住宅不動産の資本家には、取得された住宅の資本増殖の政策は存在せず、日本の住宅政策においては、住宅購入者同様、住宅地経営を行なっている資本家は粗末にされている国です。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

 

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