HICPMメールマガジン第762号(2018.お3.19)

HICPMメールマガジン第763号(2018.03.19)

みなさんこんにちは

ハワードの「ガーデンシテイ

私はいつも欧米と日本の住宅産業の違いを考え、欧米の状況に日本の住宅産業を近づけられないかと考えてきた。特に今年度は新しい取り組みとして「新しい提案をしようと準備してきた考え方」をまとめる作業として、エベネザー・ハワードの住宅地経営の原点に返って問題の整理を始めた。

日本でハワードは『ガーデンシティ」を構想し、レッチワースガーデンシテイやウェルウィン・ガーデンシテイの計画者・事業主として知られているが、日本では阪急の宝塚田園都市開発を実践した小林一三の事業として紹介された。宝塚の事業は小林一三の構想で、ハワードの「ガーデンシテイ」の理論を実践したものではない。私は日本の都市計画関係者の解説などで、ハワードの同心円系の都市モデルを使って、ハワードの都市の考え方を説明したものであることは間違っていないが、同書を読んで、そのような都市モデルを実現したハワードの都市に対する考え方を都市の模式として理解できても、ハワードがその著書『ガーデンシティ』の中で基本的に主張している都市居住者が「ガーデンシティ」に居住することで、「個人資産形成を実現する理論と実践」の経営理論というようには理解できなかった。その理由は、都市経営に踏み込んだ都市モデルと、都市経営が富貴的に結びついてハワードの都市理論になっていることが理解できなかったためであった。

 

人びとが住宅を取得することで資産形成を実現したい

しかし、エベネザーハワード自身がガーデンシティの居住者には、住宅を取得することで、その「人々には、ガーデンシテイに生活することで確実に住宅による資産形成を実現させる方法」を発明したと明言し、それを「三種の神器」という形で示した。

ハワードは、自らを住宅所有者の資産形成を行なう都市経営の「発明家」として社会にデビューしています。ガーデンシティその中にリースホールドによる住宅を取得した人びとによって、そこでの居住者に資産形成を実現する方法を、ハワードは居住者に対して「売り手市場」を維持継続する「住宅地経営」によってそれが実現できると言い、それをハードなルールとソフトなルールとガーデンシテイ株式会社による経営主体をしっかり確立する「3種の神器」であることを明らかにした。その後の欧米における住宅地経営は、ハワードの『ガーデンシティ』で明らかにしたとおりの住宅地経営が行われ、その結果、欧米の住宅地経営を適切な経営の対象にされている住宅は、常時、社会的に売り手市場を維持し、例外なく住宅を所得することで個人資産形成を実現できている。

ハワードが言っていることは、住宅の価値は、需要と供給によって決められる市場価格であって、売り手市場を維持できる住宅地経営を行なうように、住宅購入者の支払い能力で購入できる住みやすい住宅地経営がされなければならないということでした。

しかし、日本にはハワードの「ガーデンシテイ」の理論が正確に伝えられておらず、ハワードに倣った住宅地経営が行われていないため、消費者が住宅を取得することで個人資産形成を実現することができていない。ハワードの始めたリースホールドによる住宅地経営は、その後フリーホールドに経営は転換されたが、結果的にレッチワース・ガーデン・シテイに居住した住宅による資産形成を実現した。リースホールドに依るか、フリーホールドに依るかは、経営方法の違いであるが、それは連続的に移行し、ハワードのガーデンシテイによる都市開発は、居住者の資産形成を実りあるものにした。

リースホールドによる住宅地経営に再注目

そこで、昨年からハワードのリースホールドによる住宅地経営が、大きな地価負担をしないで住宅を取得する理論として、現代日本に有効であるという判断で、リースホールドによる住宅地経営で住宅所有者が資産形成ができる事実を、レッチワース・ガーデンシティの事例から、その検討を進めてきた。

その結果、「住宅取得者の資産形成を確実にする住宅地経営の経済理論とその実際の具体的対応として把握できた内容」を今回紹介することにした。

その検討の中で、わたくしはハワードの同世代の英国のアダム・スミスからカール・マルクスが展開した理論を、住宅地経営の経済理論として「労働価値説」取り入れたものであることが確認できた。これは住宅地環境整備を行ない、住宅建設や住環境設計は、優れた設計・施工により行なわれる結果、そこに投下された価値以上の価値を形成し、それらの環境改善投資が、住宅地のアメニテイを高め、新たに住環境を創造している。ハワードは環境改善事業を消極的に評価せず、積極的に評価するものである。そのように視点を変えると、環境創造とその環境に維持管理により、その環境創造に投下された設計・施工以上の創造価値が生み出されることになる。その価値創造のメカニズムは、通常の設計・施工により住環境が設計・施工されると同じ労働価値創造のメカニズムである。

 

環境改善;環境価値の増殖

住宅及び住環境は歴史・文化・生活という人文科学的な変化を飲み込んで、生成発展する計画として改良され、固定的なものではない。住宅や住環境はそこで扱う対象が、居住者の生活要求に適合するよう生活要求に調和させる取り組みを通して、居住者の生活要求に応えることが行われてきた。そこにはハードな物づくりで対応する場合もあれば、居住者の環境の使い方で対応される場合もある。通常の場合、環境改善を行なう場合、基本コンセプトとして土地と生活者の要求条件に立ち返って、「ストーリー」と「ビジョニング」に立ち返って検討し、現在から未来に向けての「ストーリー」と「ヴィジョニング」を明らかにすることで、居住者にその住宅地への展望を持たせ、その住宅費への信頼感を醸成することから始めることになる。

基本設計の取り組みは、その開発の将来に影響するものであるから、「ストーリート」と「ヴィジョニング」の作成から始められる。新しいリモデリングによって、そこに投入された材料費プラス労務費にリモデリング設計により創造された創造(労働)価値が加算される。その価値の大きさは、その成果物に対する需要と供給で決められる価格として示される。リモデリングの成果・効用は、その成果の効用により左右される。リモデリングされた成果は、その事業目的の成果がその住宅地経営において生かされるか、どうかによって影響される。そのためには、取り組まれるべきリモデリングが、居住者の生活要求の実現に関係していることが求められる。まず、最初に求められることは、その基本計画が合理的で信頼できるものであることである。それは経済学的にも合理的な説得力を持つものでなければならない。それは人びとがその住宅地において、主体性を持って生活を組み立てられることが必要で、生活をしながら経済活動が拡大できるような仕組みが求められている。

 

ニューアーバニズムの目指すもの

現在米国で取り組まれているニューアーバニズムは、住宅地に生活しちる人たちが、弱者の生活支援を取り入れることで、所得が高くない人も、弱者の生活支援を行なうことで、共存共栄を図ろうとしている。どのような人も孤立して豊かな生活を送ることはできないが、それぞれの持っている力を他人の生活に差し伸べることで、お互いにより豊かな生活を営もうという取り組みが生まれている。

ハワードが言っていることは住宅地の環境計画・環境改善に取り組めば、その環境形成による価値は新たに生まれることになると言う。住宅及び住宅地の環境改善は、その設計施工に投入された材料や労働力を合算した以上の労働価値を生み出し、それはその住宅地自体の価値を高める。その結果、そこに住む人たちは環境価値の増殖した住宅地に生活できるだけではなく、その住宅不動産は増殖した価値を取り入れて資産を取引することになる。

 

日本における環境管理の経済的評価

日本では住宅地の環境管理を価値の生まない行為のように勘違いしているが、実際には環境改善が行われ、そこで生活する人に高いアメニティを提供することになれば、その提供された雨ニテイを評価して住宅不動産価格は上昇する。ハワードは、住宅地におけるリモデリングや、住宅地のルーテインとして行われている維持管理自体が、その住宅地の環境価値を引き上げていて、そのために費やされているコストが、HOAが定期的に支出している費用であると言っている。住宅地の計画修繕や善良管理義務を正しく行うことが、住宅地の環境を維持向上させることで、それがその住宅地に落ちてくる不動産取引という形をとっている。

 

環境改善は環境のアメニテイを高め、需給関係に影響を与える

住宅地環境改善の中には、その住宅地が固有に開発し、維持管理している環境とともに、住民の主体的取り組みとして形成される環境とがある。多くの生活環境は各住宅地を基盤に、住民の生活要求を住民の要求に沿ってまとめるものもあるが、既存施設を利用して実施されるものもある。住宅地開発段階でその住宅地の生活に対する基本要求は準備されているので、住民の生活要求は既存施設とかけ離れたものを考える必要はない。取り組みはできる限り、住民主体の取り組みとし、できるだけ費用をかけないで行なうようにする。

 

第762号『注文住宅』の連載の続き

今回は日本の現状を率直に振り返って見ます。ここで書いてきたことは米国から見た日本の建築士の業務です。建築士をひぼうする意図はなく、建築士をこのような業務に追いやっている日本はどういう国かという率直な疑問です。

 

詐欺師集団に包囲されている建築主

欧米の住宅政策上、日本の設計・施工業務は顧客を欺罔する詐欺行為と考えられ、不誠実業務とされます。まず、大学で建築教育を受けた学生が、ハウスメーカーに就職し、営業販売業務をしたことで、建築士の受験資格がなくて、受験資格が与えられ、建築士の学識経験を試さない建築試験に合格すれば、設計・工事監理業務ができなくても建築士資格を与えられています。しかし、政府は欺罔により建築士資格を得た者にその業務を建築士法により保障してきました。建築士は、住宅購入者の支払い能力とかけ離れた住宅を設計し、工事監理した違法な業務を適正業務として見なした結果、その建築士が設計・監理した住宅を購入した人がローン返済不能事故を発生させているのです。そのような業務は、欧米の建築家の業務としてはもちろん、日本の建築士法上も適正業務と言うことはできません。そのような建築の設計・工事監理業務を行っていれば、住宅購入者の利益に反する業務を犯します。

建築主の支払い能力の範囲で購入できない住宅を、「購入できる」と欺罔して住宅を購入させ、その営業成績で昇進する住宅産業は、反社会的行為を行っています。顧客の返済できないほどの大きな住宅ローンをファイナンシャル・プランナーという学識経験の分らない専門職を使って、ローンを組ませる行為は詐欺幇助です。住宅ローンを組ませてしまえば、自動的に住宅は売却できます。住宅販売会社は住宅金融機関と共謀して不正な住宅販売を行ったことになります。わが国では、住宅会社は住宅ローンを組ませた段階で住宅購入者とはきれいに手離れをして、その後の追求は行われません。その契約は住宅会社内で行えばクーリング・オフはできない住宅政策もまた、「フローの住宅」政策です。住宅産業が行う欺罔に引っかかる者は、契約内容を読めば理解できる内容であるから住宅購入者の「自己責任である」という政府の説明は、住宅購入者本位の政策ではありません。

 

政府が一貫して譲らぬ「自己責任」の主張

「自己責任」と言われている契約の多くは、はじめから消費者を陥れる意図を持っているもので、それに気づかないことを、「自己責任」という説明は、犯罪に加担する人の「無責任な意見」であり、否定されなければなりません。

わが国のバブル経済が崩壊したときに住宅ローン返済事故が多数発生しました。そのときローン借り受け人は企業倒産やリストラに遭い返済能力は持たず、その解決は自己破産するか生命保険を使う以外に方法がなかったとき、政府の住宅金融機関が次のような取り立てをしました。

「妻子を守るためには、生命保険を使うことが最良の策と示唆し、多数の住宅ローン事故者は自殺しました。」

事故が多発しすぎ、生命保険会社が多数破産に追い込まれました。この事実を住宅金融公庫の担当窓口にぶつけたところ、「金融機関としては、金融の安定のために、ローン債務の踏み倒しを容認する指導はできない」と回答した。

住宅ローン事故に関して政府は一貫して政府の住宅政策責任を認めず、住宅ローン借り受け人の「自己責任」ある主張を変えていません。そして、大学の住宅建築教育でも、日本の住宅政策をまともな政策と教育してきました。その住宅政策は、2006年以来継続している「住生活基本法」行政にも継承されています。その一番基本的な問題は住宅設計と施工が立法時定められた米国の設計・施工と違った誤った途に迷い込み、建築士受験資格を満足していない者に建築士受験を認め、建築士資格を与え、その学識と経験に未熟な建築士業務を排他独演的に行わせた結果、国民を貧困にさせる住宅を野放しにしてしました。

日本には建築基準法、建築士法、建設業法という行政法があり、国家がその行政事務で住宅産業を監視監督し、国民の利益を国家の責任で守ることを憲法で国民に保証しています。そこに「自己責任」の口実で住宅産業界の不正を免罪にする余地はないはずです。しかし、わが国の住宅政策は戦後一貫として産業界の利益のために行われ、国民の利益は無視・蹂躙され続けてきました。

(NPO法人住宅生産性研究会理事長戸谷英世) 

 

 

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