HICPMメールマガジン第743号(2019,08.19)

HICPMメールマガジン第743号(2019.08.19)
みなさんこんにちは
今回から毎週1回、『わが国の住宅と住宅地、欧米の住宅と住宅地』を連載する。優れた米国の住宅に表面からは見えないものを私の知識と経験を駆使して、人文科学的資料としてまとめたものである。

第1回:
はじめに: セレブレイション・ショック

マイケル・アイズナーの挑戦:ハワードの叶えられなかった夢の実現
ディズニー社がアメリカのフロリダ半島の中部にある低湿地で、1992年に開発を始め、住宅産業界の話題となった「セレブレイション」の誕生の経緯である。この開発は、この土地をダミー会社を使って買収した初代社長ウォルト・ディズニーの死後、この地にテーマパークを開発してきたディズニーに、過去に作られたことのないエポックメーキングな住宅地開発の挑戦であった。この開発は、1980年、建築家DPZ(アンドレス・ドゥアーニーとエリザベス・プラター・ザイバーグ)夫妻が「シーサイド」(フロリダ)のデベロッパー、デービスが新しい時代の要請に合わせたリゾート開発をTND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント:伝統的近隣住区開発)を実施して全米で爆発的な話題となっていた。その空前の話題性を持った事業を上回る社会性を持ち、かつ、前例のない大きな利益を居住者と事業主ディズニーに供与する開発として取り組まれた。

ディズニー社第5代社長マイケル・アイズナーがフロリダに、「ディズニー社の初代社長が取り組んだ開発」の趣旨・目的に立ち返って、1990年代の社会経済的環境に対応して、「もし、ウォルト・ディズニーが、フロリダの土地を買い集めていた歴史的・社会的環境に立ちかえって、将来の歴史的評価の受けられる事業に取り組むとしたら、どのような開発事業になるか」を社内に問いかけた。そこで社員から新しく提唱された開発は、1980年に開発の始まったDPZが提唱している「シーサイド」のようなTNDで、それをディズニ―社として集約した事業を取り組む意見が多数出され、それらの意見を集約した事業が「セレブレイション」であった。

TND開発として始められた「シーサイド」を乗り越える(目標)
ディズニー社として話題性のある開発とされたフロリダの「シーサイド」を人文科学的観点に立って、その歴史文化をよく調べてみた。するとそれは、エベネザー・ハワードの1900年に始まった『明日へのガーデンシティ』の理論と実践から直接・間接に影響を受け、欧米社会で取り組まれた住宅地開発を、1980年、DPZが過去の歴史文化を踏まえて現代に提唱するTND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント)で、1980年代の豊かな経済環境を反映し、消費者の個性とお互いの自由な生き方を尊重した生活時間を享受できるリゾートライフに対応する全米で最初に取り組まれた開発コンセプトによりつくられたリゾート開発であった。

20世紀初めに米国に導入されたエベネザー・ハワードが提唱したガーデンシティは、米国社会で1911年、ラッセル・セージ財団によるフォレスト・ヒルズ・ガーデンズ(ニューヨーク)や、J・C・ニコルズによるカントリークラブ(カンザスシティ)の開発を皮切りに、20世紀前半にハワードによるガーデンシティは、各地で繰り返し取り組まれた徒歩による近隣住区環境であった。ハワードが構想し、それをラッセル・セージ財団が米国ニューヨークにつくった。フォレスト・ヒルズ。ガーデンズに、同財団の住環境研究者C・A・ペリーが居住し、その住環境を自らの生活経験に照らして「ハワードの考えた住宅計画論」としてまとめたて開発理論化されたにものが『近隣住区論』である

その後、自動車が人々の生活の足になり、生活行動圏は拡大し利便性は増したが、人びと相互の接触の機会や結びつきは疎くなった。『近隣住区論』に基づき自動車の登場した社会での「歩車道分離」の住宅地が「ラドバーン」(ニュージャージー)である。その成果は戦後英国のニュータウン開発の計画理論になり世界中に広められた。その後、ラドバーン以降の開発は利便性の高い町の要求に応えた自動車場登場によって、歩行者で作られた街の空間と人びとの生活を、次々と自動車が破壊して行った。

DPZによるTNDとデービスが共感した「自由時間都市」
DPZはイエール大学を卒業後、米国の南部マイアミを中心に歴史文化的な「居住者が懐かしさを感じられる住宅地環境調査」を行なった結果、その住環境には、「居住する人々の民主的な住宅地経営」が不可欠であることに気付いた。DPZはそこから自動車に破壊される前の近隣住区への回帰となる開発が必要と求め、TNDの理論を纏め、新しい開発に実践し始めていた。その情報を入手したシーサイド(フロリダ)でデベロッパー(住宅建設業者)をやっていたデービスは、DPZ夫妻の計画論を知って、TNDはこれからの時代の要請を受け止める自分求めていた開発と考えられた。そこで、DPZを自分のリゾート開発のプランナーに招聘し、その思い通りの設計を行なう機会を提供した。

「シーサイド」の計画として事業主デービスが望んでいたものは、フランスのミッテラン大統領が南フランスのリゾート開発で取り組んでいた「自由時間都市」の考え方と同じで、社会の指導的立場に立つ人たちのストレスを開放し、人間性を取り戻すためにおリゾート開発を行うことの重要性を理解した。ストレスの高い業務の長時間労働を短縮し、自由な時間により人間性を回復する開発のコンセプトが明らかになり、デービスにより、DPZによる計画が進展した。実際のシーサイドが姿を現すと、この「シーサイド」計画は一般誌(紙)や社会メディアに取り上げられ、話題性を社会に拡大して行った。住宅や住宅地経営の専門メディアは、社会現象となり始めたTNDを後追いで取材し広報した。

AD(アドパタイズメント)によらずPR(パブリックリレイション)による販売
「シーサイド」のコンセプトによるこれからの住宅地開発は、消費者の所得は十分大きくなり、それ以上の労働をしなくても生活を豊かにする時間があり、人間性を回復できる豊かさと住宅を取得した個人が住宅を取得して資産形成のできる街の形成こそ時代の養成であることを掲げた。生活の豊かさに人びとの関心が向かい始めた米国社会では、「シーサイド」の取り組みが受け入れられ、社会的要求である論調の記事がメディアを賑わした。「シーサイド」は新しい時代の生活を問題にし、それを住民の合意形成のシステムによって実現されることを「シーサイド」発行の情報広報紙(ブリティン)をメディアに送付しメディアの取材をこなし、AD(広告宣伝)の手段を使わずに事業趣旨を訴えた。

デービスは「シーサイド」の調査に出掛けた私たちに、「住宅事業は社会が要求していることを明確にし、それを約束通り実現することであるから、住宅地開発事業にアドパタイズメント(AD:広告宣伝は不要で、行なうべきことは住宅地開発事業者が消費者の要求とどのように認識し、それを如何に合理的に解決する開発事業者の事業を「ブリティン」(情報広報紙)によりメディアに流すこと)であると説明した。住宅地開発の情報を公開し、計画がどのように実現されるかを透明性のある情報を消費者に伝えること(PR:パブリック・リレイション:広報)の重要性を説明した。「AD」は発信者が情報を伝えることを目的にするため、情報自体は正しくても開発業者に不利な情報は取り扱われない。「PR」はそれを取り上げるメディアの評価と、実施された結果に対する社会的評価が行なわれる。

TND「シーサイド」による「歩車道分離計画」とわが国の多摩ニュータウン計画
自家用車が人々の足になってからは、生活の効率性は自動車社会により高まったが、徒歩生活による多様な個人の生活を尊重する環境が破壊された。自動車は子供の学校への送迎に利用され、帰宅後の子供同士の遊びも、親が自家用者で学童を送迎することが普通に行われている。子供たちは学校で友人と放課後の生活の約束をし、自家用車で友人の家に行く生活である。子供たちの成長にとっても、地縁的な徒歩の生活環境の中で人々の関係を育んでいくヒューマンスケールの近隣住区環境を復興する原点回帰の環境復興として、DPZによるTND開発が提起された。そしてリゾート開発であった「シーサイド」において、そこで働く人たちやリゾートライフを楽しむ人たちの生活環境として、教育施設や日常生活施設が計画された。居住者の生活を豊かにするため、デービスによりDPZの優れた過去の近隣住区開発調査を集大成するTNDとしてシーサイド(フロリダ)のリゾート開発として始められた。

「シーサイドの交通計画は、歩車道分離の道路計画ではない。このシーサイドの歩車分離の考え方は、歩車が同一空間を歩行者優先に生活空間を使う計画である。この計画はセレブレイションの道路計画に導入され、その計画を高く評価した英国のチャールス皇太子は、アーバンヴィレッジ運動の英国での展開に当たり、セレブレイションの設計者、レオン・クリエを英国の皇太子の領地の「パウンドベリー」の開発プランナーに招聘し、シーサイドの住宅地計画理論を実践することを要請した。車の少ない時代のパウンドベリーの街を想定した歩車道分離をしないで車が横断しないサイドウォーク(側道)を造り、居住者がリビングポーチから歩行者の安全に見守り、歩行者に安全な空間を実現している。

わが国最大の多摩ニュータウンでは米国のラドバーン以上の歩車道分離計画として、3,000haの開発地の全域に車道を横切らないで到達できると、共同事業主の東京都と住宅都市整備公団の関係者が誇っている。住民は歩道の回り道をすれば車道を横断しないが、通常は危なくないという判断で車道を横断し移動している。車道は自動車の許容速度で設計され自動車は走っているが、歩行者に安全な訳ではない。歩行者と自動車の性格の違いを理解し、相互にルールを尊重することで安全が守られる。DPZの計画したTNDは、歩行者も運転者も住宅地計画を理解し、街の計画を理解し生活がされている計画である。歩行者優先の歩道と車道の使い方が重要であり、歩車道分離はその手段である。

定期計画修繕と善良管理義務が約束する住宅の資産価値上昇
「シーサイド」の開発は開発当初から資産形成を保障する事業を標榜し、一般誌(紙)が着目し、米国社会で、これからの住宅地開発のあるべき開発として高い話題性のある事業であった。住宅は国民の所得に比較して著しく高い買い物であり、住宅の計画修繕と善良管理義務を果たしている住宅投資は、物価上昇率以上の資産増殖を実現しており、国民にとって最大の関心事である。住宅環境は日常生活の豊かさと国家の安定を実現する上で社会が取り組み続ける課題である。米国の住宅に対する期待に真正面から取り組んだ「シーサイド」の事業は、消費者の住宅地開発に対する社会的ニーズに的確の応えたもので、高い社会的評価を勝ち得て盛り上がりを示していた。開発当初は住宅地の立ち上げと居住者生活の充実を促進するため、「土地取得後、2年間以上の空地」には買い戻し契約としていた。

買戻し契約は、住宅地の入居とともに地価上昇が起きる前提に、5%の地価上昇を見込み、建築しないままの人に対する買戻し契約は、5%の地価値上昇を前提に、制度を運用した。デービス自身も驚いたと説明した通り、買戻し請求をしなければならないケースはなく土地は値上がりし続けた。土地を購入後居住できない場合には、シーサイドのHOAが賃貸利用を認める契約によって高い不動産経営収益が得られた。私自身何度かシーサイドを訪問し、複数人で住宅を借り多数で宿泊したが、自由時間都市の環境整備と環境管理の行き届いたシーサイドの邸宅やコテッジの賃料は、ホテルに泊まる場合と比較して決して安くはなかった。シーサイドの事業としての話題性もあったと思うが、1年先の予約が取れず、ホテル顔負けの安全で衛生的な経営管理で、経年してもみすぼらしくならず味わいが生まれている。そこでの開発のコンセプト自身が、豊かな環境を享受できるTNDの計画にあるためであった。

「自由時間都市」の実現という時代背景でのTND
戦後、ヨーロッパは経済復興期し経済統合を目指し世界の経済成長が急速に進展し、労働時間を短縮させても労賃を維持向上できるEEC(ヨーロッパ経済機構)がフランスとドイツを中心に成熟したヨーロッパ経済を発展させ、EUに繋がる経済統合に向けて進んでいる時代であった。人びとは家族の生活を中心に考え、個人の生活要求に対する社会的要請に応える経済成長を象徴する事業が展開されていた。初代ディズニー社長がフロリダの土地を買い占め、そこで実施すべき事業はテーマパークではなかったとアイズナーは指摘し、そこで取り組むべき課題を原点に返って社内に問いかけた。

社内から指摘された回答の多くは、当時米国社会で大きな話題になっていた「シーサイド(フロリダ)に見られる取り組み」という回答が提起された。アイズナーは社員からの回答を分析し、シーサイドは過去に前例のない個人の生活要求を先取りし、住宅購入者の資産経営を保障したTND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント:伝統的近隣住区開発)であることを理解した。居住者がそれぞれの個性が尊重され、多様な生活要求重視されるとともに、常に売り手市場を維持する住宅地経営は行われ、資産形成をもたらす事業であることが証明された経営であることが分かった。

「シーサイド」は、「住民こそ土地の中で最も尊重されるべき主体」というオースマンのパリ改造計画と取り入れた住宅地開発に、「シーサイド」の自然、歴史、文化を生かした魅力的な街並み景観を形成し、世界の住宅産業人の関心を引き付けていた。「シーサイド」は住宅金融界を魅了した住宅不動産投資として一世を風靡した開発であることを認めた上で、アイズナーは20世紀の「シーサイド」までの欧米の住宅地開発は基本的にハワードが提唱した『明日へのガーデンシティ』の理論の発展であることを見抜いた上で、アイズナーは「セレブレイション」計画は「ハワードの理論と実践」を乗り越えた住宅地経営プロジェクトとして実践する方針を立てた。「セレブレイション」は、ハワード及びその理論を実践したそれまでのハワードの住宅地経営では実現できなかった「夢の実現」を事業の目標に掲げた。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長戸谷英世)

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