HICPMメールマガジン第849号(2019.9.30)

みなさんこんにちは

 

第7回

米国のTNDが象徴する最先端文化と健全経営に支えられた住宅地開発

2×4工法の高い住宅品質を合理的に行使することで、米国の住宅産業は国民の資産形成を担う花形産業となり、ホームビルダー(住宅建設業者)、建築家(アーキテクト)、職人(スキルドレイバー)、下請工事業者(サブコントラクター)は尊敬される職業の担い手となりTNDを発展させることになった。

米国の住宅産業は過去からの歴史文化と技術と職人技能の伝承の上に構築されている。私たち日本人が米国の住宅産業技術を学ぶためには、米国の住宅産業の歴史文化を学ぶことで、正しく米国の住宅産業の技術移転が可能になる。米国の住宅産業に取り入れられている歴史文化や技術・技能は、米国の住宅産業人と同じ真剣さで取り組まなければ学べない。米国では、高地価の都市で豊かさを感じる郊外住宅の環境を実現するために、眺望の良い低層高密度開発の土地利用問題を取り上げられた。米国でも地価の高騰は激しくなり、消費者の経済負担でよいタウンハウスが取り組まれている。

ディズニーのTND「セレブレイション」は、ダウンハウスを中心に低層高密度共同住宅開発も取り入れ、ダウンタウンから遠隔化するほど1戸当たり宅地面積は大きくなり、低密度の住宅地になっている。そこで計画されている街並みは、居住者の生活として「太陽、緑、風、水のある住環境」である。大きな敷地に大きな住宅を希望者は都心から離れた土地に生活する、共同住宅の多くは利便性の良い所に共有の中庭(コモングリーン)を囲んで生活空間をつくり、邸宅でしか持てない「美しい庭園」を共有することで、眺望も景観もその住宅地に相応しい住環境を作っている。米国では地価は高騰しているが、消費者は支払い能力の範囲で個性的な美しい庭園環境を手に入れた邸宅である。その中で生み出された住宅が、「コートハウス」や「タウンハウス」(語源:英国貴族の上屋敷)である。タウンハウスの取り組みは、共有地(コモン)を公園に作り居住者の経済負担を最小にする住環境形成である。

アイズナーは社員に「セレブレイションのチャレンジ」として、民間企業の利潤追求事業として、「過去に例を見ない利益を挙げる事業成果」を要求した。事業を目的通り実現して購入者を喜ばせ、株主への配当を高め、従業員の賃金を高め、結果的にディズニーは高い利益をもたらすことである。その結果、「セレブレイション」は事業目標を超過達成した。事業完成後の経営管理運営に関し、米国内にはディズニー以上の住宅地経営会社があることを認め、その企業にディズニーが開発した全てを一括競売した。その結果、アイズナーの提起した目的に応えた巨額な利益を挙げる事業を仕上げた。米国における住宅地経営は非常に高い経営内容を要求しており、19世紀にハワードが実現したガーデンシティ以来、150年間、米国における住宅地経営内容は驚くべき成長を果たしていた。ディズニーは「セレブレイション」の登録商標(TM)を含む一切の住宅地経営専門技術を住宅地経営専門業者に競争売却した。

 

TNDを可能にした2×4工法、「レービット革命」が起こした住宅生産性革命

全米ホームビルダーズ協会(NAHB)は、地域や地区ごとに組織化された住宅建設業団体が、第2次世界大戦後、住宅建設業者の技術、経営の向上改善を目標に組織化された全国団体で、政府と共同して住宅産業界の革新に取り組んできた。NAHBは戦前までは住宅不動産業団体の一部門であったが、第2次世界大戦中に地方ごとの住宅建設業者の全国団体として組織化され、戦後、住宅建設需要の飛躍的拡大に対応し、NAHBの建築研究所(BRI)は、ウイリアム・レービットが提案したレービットハウス(プラットフォーム・フレーム工法)の技術開発を農務省森林研究所(DAFL)とともに高生産性を誇り防耐火性能の高い木造2×4工法技術を革新し全国的に普及させた。プラットフォーム・フレーム工法は、合板を床と壁の面材に使ったダイアフラム工法で、大空間構造、防耐火、耐震、断熱、遮音性能の高いうえ、消費者の購買力の範囲に抑えた高生産性住宅で、建設業者に適正利潤と労働者に高労賃を提供した。この費用対効果を向上し続ける2×4技術可能性がTNDを支えている。

1950年代にレービットの取り組んだ住宅生産技術は、世界大戦終了で需要を失った仮設道路用合板を、住宅の構造材に利用する技術開発であった。それまでの製材による床および壁下地材を使った軸組み工法をダイアフラム工法に変更することで合板に新しい市場を創造し、合板で現場生産性をそれまでの2倍以上に高めるダイアフラム構造技術で飛躍的に生産性を高めた。それまでのバルーン・フレーム工法は火災延焼に弱く、市街地火災対策上使用制限される弱点を解消した。ダイアフラム構造は2×4工法の構造軸組を延焼に耐える石膏ボードで木構造を耐火被覆し、耐火区画(ファイアー・コンパートメント)を造り、木造耐火建築物を可能にし、一般市街地で広く建設されることになった。

さらに、構造躯体の中にインシュレーション材を挿入することで、高気密・高断熱・遮音・防耐火構造を造ることが出来た。そして床、壁ごとに建設現場の流れ作業による現場作業により、CPN(クリティカル・パス・ネットワーク)/CPM(クリティカル・パス・メソッド)を使って手戻りすることなく高生産性による生産を可能にした。その結果、CM(コンストラクション・マネジメント)により生産コストを引き下げた。米国ではゼロエネルギー住宅のため、壁の厚さを6インチにするが、スタッド間隔を2フィートとし、横架材をスタッドの軸線上に配置することで、軸組材総量を削減し、製材費用を切り下げ、構造安全性能を落とさないで高品質・低価格での技術革新を実現している。

TNDの発展の秘密は、プラットフォーム・フレーム工法による技術革新に支えられ、住宅地開発を流れ作業にする経済的合理性追求事業でもある。TNDは「レービット・タウン」の開発により、住宅地開発及び住宅建設の生産方式を現場における流れ作業を可能にし、安い価格で高品質の住宅を大量に供給することを可能にした。TNDは合理的な住宅地開発技術に支えられ、建材及び労働力を生産計画に合わせ供給する高生産性を誇る「住宅地開発と住宅不動産建設」として生産計画通りに進めることに成功した。TNDに取り入れられている「レービット・タウン」の建設方法は建設現場にジャスト・イン・タイムにより、資材と関係工事職人を建設現場に輸送し建設現場を生産工場にする方法である。

米国におけるレービット・ハウスの建設は地盤面の整備、1階躯体工事(ラフイン:構造材・下地材と設備材)、1階仕上げ工事(トリムアウト:内装仕上げ工事、設備機器工事)、2階躯体工事(ラフイン),2回仕上げ工事(トリムアウト)という順序を追って4階建てや5階建ての建築工事が行われている。日本の建築基準法では米国の2×4工法の木構造(ダイアフラム)が理解されていないため、米・加での構造計画も防耐火構造も実現することが出来ていない。米・加でTNDが発展できた理由は、住宅及び住宅地のデザインとして、TNDデザインが消費者の要求に結びついた理由は、伝統的文化を受け入れても経済的・技術的に耐えられる高生産性の2×4工法が技術革新されているためである。

 

木造建築による耐火建築物の実現と、巨大火災実験:セント・ローレンス・バーンズ

1958年、カナダ政府は市街地火災を撲滅するため、2×4工法耐火建築物の耐火区画(ファイアー・コンパートメント)技術を革新した。その技術開発はカナダ政府が英国の火災学者の協力を得て、有機材料の火災燃焼を阻止する耐火区画理論と技術とを開発した。この理論を実証するために、カナダ政府はセントローレンス川のダム決壊事故で廃村になった住宅地跡地で大規模な実大火災実験「セント・ローレンス・バーンズ」を実施した。火災延焼と安全避難の実現の観点で実大火災実験は実践された。火災実験は火災熱による燃焼、煙(可燃ガス)による延焼、燃焼音により火災覚知、安全避難、消火活動、避難誘導に関し、防耐火・避難の項目について英国の火災学者の協力を得て実施された。

火災実験結果は予定したとおり耐火区画(ファイアー・コンパートメント)が各階及び主要構造壁ごとに延焼阻止の防火区画として有効に働き、耐火区画の効力は予定した理論とおりの結果であった。実大火災実験結果が得られたことを基に、カナダ政府はファイアーコンパートメント(耐火区画)の建築基準を定め、木造2×4工法による耐火建築物基準が制定された。米・加の火災保険制度はこの実験結果に基づき1972年になって変更された。火災の拡大は有機燃焼物質(ファイアー・ローディング)を耐火区画(ファイアー・コンパートメント)で木造耐火建築物ができ、市街地火災を防止できる。TNDで駆使されているタウンハウスは、中低層木造建築物を耐火建築物で造ることで実現されている。

 

ダイアフラム、ファイアーコンパートメント、石膏ボード

TNDは、この耐火区画は合板と木造軸組み構造でつくるダイアフラム(平板構造)技術に、結晶水により材料に裏面温度を上昇させない不燃材料(2倍の結晶水を持つ石膏ボードや7倍の結晶水を持つケイ酸カルシウム板)で木構造を耐火被覆し、高い防耐火性能と耐震性による耐火構造を開発した。ダイアフラムにより大スパンの空間を取り入れても構造耐力の高いファイアー・コンパートメント(耐火区画)を設けることができ、火災の延焼拡大を阻止できる耐火区画が確立できた。それまで不燃材料として広く使われていた石綿セメント(スレート)板に代えて、結晶水により耐火性能を有する石膏ボードを利用する新技術開発によるものであった。そこで、木造建築規制区域(防火地域制:ファイアー・ゾーニング)は廃止され、引き換えに石膏ボードやケイ酸カルシウム板を木造耐火被覆する耐火区画(ファイアー・コンパートメント)を設けることで、木造住宅が耐火建築物として全市街地に建設でき、TNDを推進する2×4工法タウンハウスは、高品質住宅を合理的価格で市街地全域で建設可能となったた。耐火区画の成功によりTND技術を発展させ、高品質住宅を住宅購入者の適正負担額で供給するとともに、CPM・CPN技術(標準化、規格化、単純化、共通化)により,住宅建設業者は、建設業経営管理技術(CM:コンストラクション・マネジメント)技術を駆使し、産業体質をつくることに成功した。この戦後のフォードシステムは、レービット・タウンの開発と相俟って、米国の住宅産業を高い生産性を誇る住宅産業を育て、国民にその購買力に見合った住宅を購入することで、個人資産形成を大きく前進させる住宅と住宅地づくりを実現し、TNDの基礎的環境を形成することになった。

 

わが国の常識と世界の常識:火災拡大理論と建築法規

わが国の殆どの住宅・建築関係者は、わが国の2×4工法は米・加で行われている2×4工法と同じ技術基準によってつくられていると勘違いさせられている。その原因が、米・加の建築法規も都市計画法もわが国では知らされていないだけではなく、学識経験者と言われる東京大学を始めとする大学や高等教育機関の学者・研究者にそのような知識を学校教育で履修させず、米・加と同じ建築教育を履修していると間違って教えられているからである。しかも、国土交通省、文部科学省は、CM教育を必要と考えず、米・加の建築学と建築法規とわが国の建築学と建築法規が全く違ったものであることを知らず、建築学を工学と勘違いし、米・加と同じ学問が通用していると誤解している。

ここに紹介した2×4工法は、レービットがNAHBと米国農務省森林研究所(DAFL)の協力で技術開発された歴史は、日本の住宅関係者に知らされていない。1970年に建築基準法第5次改正で、新規に制定した建築基準法の防耐火、安全避難の規定の根拠が、米国のUBC(ユニフォーム・ビルデイング・コード:統一建築法規)によることなしには、米・加のような火災安全行政を行なえないと住宅局は判断した。防耐火、安全避難に関する規定の改正は、日本建築学会の学者、研究者には知識経験がなく任せられず、米国のUBCの基準に倣うと住宅局(前川善寛建築指導課長)が判断した。

それ以前のわが国の建築基準法の規定は、鉄筋コンクリート造の防耐火理論(火葬場での火力荷重試験による)で基本的に不合理にできていた。その建築耐火理論は、鉄筋コンクリート構造が火災に遭った場合、どの程度の時間、加熱に耐えるかの火災時の鉄筋コンクリート造の加熱強度の川越理論(建築研究所)と、火災により隣接建築物への延焼を、結論に合わせる実験で証明した浜田理論(東京大学)で、可燃物の燃焼理論を火災延焼実験で、「基準の口実」にしたものでしかなかった。

わが国の市街地火災は、建築物の外部からの火災の延焼を防止する「被害防止」の考え方により「延焼の恐れのある部分」を不燃材で造る規定である。実際の火災は火熱を扱う建築物内から始まっている。わが国の鉄筋コンクリート造の川越の防耐火理論と、浜田の延焼理論をわが国では東京大学の権威で、「学問的な真理」のように扱ってきた。しかし、1960年代末、全国で大火災事故を経験し、建築基準法第5次改正で、住宅局は過去の国内の防耐火の考え方を捨て、米国のUBCに学んで規定の作成を行なった。延焼の恐れのある建築物の部分に耐火区画を設けることで加熱が耐火区画を破壊して隣接建築物に拡大する「加害防止」する延焼防止規定と、安全避難が米・加の防耐火・安全避難技術として取り入れられた。欧米の防耐火理論は、火災は人びとの生活空間から発生し、可燃物燃焼により建築物を破壊(燃焼)し、それ以外の空間に拡大する火災を区画する火災の成長を阻止する理論である。

 

米国から導入された耐火区画(ファイアー・コンパートメント)技術と防火材料試験

わが国には建築防災額も、火災燃焼理論も存在せず、その結果、建築法規上も火災荷重(ファイアー・ローディング)の関係で耐火区画を考えず、鉄筋コンクリート建築物の建築促進すれば、都市防災ができると考えてきた。鉄筋コンクリート造建築物の促進のための規制緩和を行い、鉄筋コンクリート業界支援を行なってきた。東京大学を始めわが国の建築学界は、鉄筋コンクリート業界の事業拡大のための基準を設け、それを緩和し建築促進行ない、火災からの国民の安全避難の調査研究には全く無関心であった。建築基準法第5次改正の防耐火・安全避難の技術基準を作るに当たり、住宅局は鉄筋コンクリート業界の利権と癒着した東京大学及び日本建築学会を建築基準法の技術規定の作成から排除しなければならないと考えた。それまで住宅局が建築基準法令の基準作業を依頼してきた日本建築学会との産学官共同関係を廃止し、住宅局からの日本建築学会へも委託業務を廃止し、それに代えて、日本建築学会に委託していた全ての行政部費による業務を㈶日本建築センターに委託した。産学官癒着で潤っていた日本建築学会と東京大学の建築学科(岸谷孝一)は業界利権を守れず経済的に大きな打撃を受け、住宅局を逆恨みし、住宅局担当者を誹謗中傷した。住宅局前川建築指導課長は建築基準法制定当時(小宮賢一課長)から米国のUBCに精通し、防耐火基準と防耐火材料・構造の格付け方法の必要性を理解し、住宅局水越専門官を米国の消防庁にMSAの交換留学制度を利用し調査研修させ、帰国後、米国の火災法関係規定及び防火材料試験を建築基準法第5次改正に取り入れさせ建築基準法改正案を作成した。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です