HICPMメールマガジン第861号(2019,12.25)

みなさんこんにちは

 

第19回 わが国のTND開発とサステイナブル・コミュニティ

第2次世界大戦の復興後、半世紀経過して、米国の都市開発が西部では産業開発中心から生活者の生活中心の「サステイナブルコミュニティ」に、東部ではTND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント)が取り組まれ、全米としてニューアーバニズムが展開された。ワシントン州ウエストシアトルで取り組まれた歴史文化と環境を尊重した再開発事業(HOPE計画)、「ハイポイント」事業が展開された。ハイポイント開発計画の訪問調査を10年近くほぼ毎年のように繰り返した。この地での居住者の所得が中程度であっても、人々の生活の向上が将来に向けて共通の展望を持てることで、地域全体が環境改善に合意し、共有空間を居住者が相互の違いを尊重しあうことで生活向上に確信の持てる住宅地を形成している。そこでは汚染された河川を「鮭が再び遡上できる」水質の河川に浄化できる「環境改善運動」と、子供と高齢者を助け、犯罪を撲滅し安全性の失われた居住環境の改善事業により希望を失っていた人たちに希望を与える「生活改善運動」とが一体となって行なわれた。「人びとに生きる希望と力を与える」ハイポイント事業には、特別に高級な住宅や施設環境という物理的な資産が存在しないのに、人々が安心して子育てをし、有機野菜を育て高齢者が安心して生活を希望し集まってくる。

人々が住環境改善に向けて居住者の生き方につての相互の相互理解を基に、安心して豊かに生活ができることで、その住宅地は「売り手市場」を維持し、不動産が投機の対象にならず安心して生活できることで常に右上がりの売り手市場を続けている。住宅資産が安心でき不動産は保有し続けたいとされるため、この住宅地には居住者は住み続けたいと願い、お互いにその人格や能力を尊重しお互いに助け合って生活し、それぞれの能力を発揮し尊重し合える社会が形成されている。

居住者がお互いの違いを尊重しあうことで差別が生まれることがなくなっている。その起源を調べると、第2次世界大戦中のユダヤ人ゲットウでのセットゥルメンと活動が、この土地の最初の地域改善運動として取り組まれ、高齢者や貧困世帯を救助する社会活動の精神的な基盤(差別を排除する)となり、個人としてお互いの違いを尊重することと、それぞれの能力を社会に提供することがよい社会を建設する居住者の共通認識にすることが、人びとの生き方に影響をしている。

 

わが国の「フローの住宅」から欧米の「ストックの住宅」へ

わが国では「差別化」と言って「売り手の立場」で優位性を演出することが重視されてきた。売り手市場を演出できる住宅計画を「差別化のできた住宅地計画」と言い、販売計画で想定した買い手を引き付けるための営業企画が策定され、短期販売が行われてきた。住宅地計画は短期に販売を行なうための事業であっても、そこに住宅を購入した人たちの「住宅により確実に資産を増殖するための住宅地経営」ではなく、多様な生活者を配慮した住宅地開発の説明ではない。それは住宅も都市も日本人にとって建設・販売する業者が取引利益を得るための手段に過ぎない。それが「フローの住宅」と呼ばれる住宅取引で利益を挙げる「売り手本位の考え方」ある。住宅や都市を恒久的な個人資産と考え、それらを熟成させ、経年することで居住者の生活満足と資産価値を増殖し、所有者たちにより高い満足を与え、それが取引価格として経年するに伴い上昇するようにする考え方が欧米の考え方である。

わが国では、都市も住宅も極めて短い寿命しか持たず、30年程度経過をした都市も住宅も、そのほとんどが償却資産と政府自身が見なすことで、優れた住宅や都市として建設されても、建設廃棄物に変質する。それがわが国のスクラップ・アンド・ビルドの住宅政策である。人びとは優れた住宅や都市を造ろうとするが、その目的は住宅を販売するために「差別化」で「住宅購入者に高額で販売する取り組み」となり、住宅購入者の購入した住宅不動産の資産価値が経年する期間の都市経営や住宅地経営になかで、住環境が向上するシステムが取り入れられていない。住宅販売の際には住宅資産が、欧米のように生産の都度、物価上昇分、住宅資産価値が上昇する不動産鑑定評価をするが、わが国ではそれらの住宅が中古住宅となって取引されるとき、ほとんど例外なく減価償却理論で取引価格が下落する。土地は恒久的資産であるが、住宅は、所詮、償却資産に過ぎないから、木造であれば30年経過すれば、その価値はなくなり建て替えをすることが当然であると、政府は当然のように説明する。

欧米では土地を建築加工して建築不動産という建築環境を造ると考えていて、その建築環境はそこの建築される建築の建築材料や工法に対応して定期修繕計画を立案し適切な修繕と維持管理を行ない、その土地の気候風土を考慮した維持管理計画を作成し善良管理義務を果たせば、恒久的な環境寿命を維持する。わが国では法隆寺は、木造建築物で寿命が国の誇りとして知られているが、その事実が建築物一般に通用されていない。欧米には法隆寺に匹敵する長寿を誇る建築物が多数存在し、建築物は償却資産と国民一般は考えていない。1666年ロンドン大火災に見るように船大工が中心になって建設した木造市街地は、火災で市街地の85%が消失されたが、焼失しなかった建築物は利用されている。

 

木造市街地を木造による耐火建築で作ったカナダの建築技術開発

過去には木造建築としてつくられた大伽藍が落雷によって焼失した事故も沢山あったが、それらの火災事故は石造建築でも発生していて建築構造材料により寿命が決められない。欧米では木造建築物によって耐火建築物をつくることが法律制度上明確化されている。普通の製材(ランバー)を使った住宅では、1958年カナダの建築法規に始まった。それ以前から大断面木材は燃焼を防止する性格により耐火性能の高い建築物を大断面構造材料(ヘイビーティンバー)で造れば、建築物内の燃焼物がなくなれば、構造材の表面炭化で酸素供給が断たれ鎮火する。不燃材料で間仕切りや内装不燃化を行うことで木造耐火建築は可能になる。人びとが生活する空間ではそこに燃焼物がある限り建築構造材料が不燃材料でも火災は発生し、大きな人命や財産が奪われてきた。しかし、ヘイビーティンバー建築の体育館など火災荷重の収容量が少ない建築物では、建築物内の可燃物が燃焼し尽くすと、表面が炭化した構造材料は材料の表面が炭化し酸素の供給が絶たれ、燃焼を継続せず鎮火する。建築物内に収容する火災荷重(燃え種)が燃えつき構造材が自立していれば、構造としての火災安全性は確保されることが火災事例から明らかになった。そのため建築法規上、ヘイビーティンバー構造の建築物は耐火建築物と格付けされた。

米国の建築法規(UBC:統一建築法規)上のヘイビーティンバーとは、構造軸組の構造断面の1辺を8インチ(20cm)以上の木材と、床やや壁を厚さ4分の3インチ以上の厚さの材を、T&G(実)加工した木造建築と定義される。その火災理論を発展させ、木材の燃焼を延焼させることをできなく防火区画によって建築空間を分割できれば、火災はその区画ごとで鎮火させられる。その区画を「安全区画」と呼び、火災の延焼から安全なその区画を防火区画(ファイアー・コンパートメント)と呼んだ。このヘイビーティンバーの防火理論を一般化し、建築物内に収容される火災荷重(ファイアー・ロード)が燃焼しても構造が火災の燃焼から守られる「耐火被覆」を形成すれば、防耐火建築物を造れる筈である。ファイアー・コンパートメント(耐火区画)を形成する建築材料として、歴史的には、石綿スレート版が高い評価を受けていた。石綿スレート版は石綿、セメント、水で混錬する不燃材料の複合体であるから、古くから不燃材料と呼び使われてきたが、火災時に裏面温度が急上昇し、ボード自体が内部の水分が蒸気化し爆裂破損した。一方、石膏ボードは火災時に結晶水がなくなるまで板の裏面温度が上昇せず、防火性能を維持でき、石綿スレートに代わって石膏ボードが防火材料として利用され、ファイアー・コンパートメント(耐火区画)で火災安全な建築物を建設した。その実大火災実験は、1958年カナダにおいてセントローレンス川がダムの決壊で廃村になったとき、その廃村で2×4工法による木造建築の住宅地の防耐火実験(セント・ローレンス・バーンズ)が英国、米国の火災学者により実行された。

それまでの欧米の火災学の基本は1666年ロンドン大火の経験を基に、都市火災に拡大させない「加害防止の考え」に立つ延焼防止技術が開発され、建築構造自体の防火安全とともに延焼防止を中心の防耐火技術が開発せられた。ロンドン大火以降の防火対策は、木造建築が市街地火災の主たる原因と考え、ファイアー・ゾーニング(防火地域)による可燃建築物規制の防火対策(木造建築物制限と延焼防止対策)が英国で作成され、その後の米国の市街地の防火対策に取り入れられた。その対策の基本は木造という可燃材量を構造材料に使った市街地の防火対策であったが、その後、「防火地域が指定され木造建築が防火地域で禁止されると、鉄骨造、鉄筋コンクリート造の建築が経済の発展とともに、米国では摩天楼時代を造り、中心市街地の建築物を不燃材料で作ることが広く行われた。

その不燃構造で作られた摩天楼時代の建築では、火災事故は頻発し、「タワリング・イン・フェルノ」の映画化で話題になった摩天楼火災で避難できず多数の犠牲者と物損が生まれた。その反省に立って、火災研究を主要構造材料の不燃化では対応出来ない認識が広まった。代わって可燃物の燃焼を鎮圧する技術として、可燃材量を空間隔離することで燃焼拡大する研究が欧米では広く取り組まれた。その考え方を生かした建築法規は1958年カナダ政府の下に建築基準法として整備された。しかし、火災保険会社がその基準を認めず、それを納得させる事例が求められていた。セント・ローレンス・バーンズは当時北米の最も主要な建築工法になっていたバルーン工法(2×4工法)が多くの市街地火災を経験し、「防火対策として新たに指定された防火地域(ファイアー・ゾーニング)によって建築地域を縮小させられ、経済的の大きな負担が問題になり、防耐火性能の高い2×4工法の開発が社会的に要請されていた。1972年、米国のUBCに「耐火区画」の規定の導入の見返りに、防火地域の規定が削除された。

 

ウッド・プラット・フォーム・フレーム工法の開発

ニュージャージ―州のホームビルダー、ウイリアム・レービットは戦時中、仮設道路に利用されていた4×8構造用耐水性合板が、終戦に伴い消費市場を失って大量な滞貨を抱え価格が下落していたので、それを住宅用建材の払底と労賃の高騰に対応するため、活用できないかと考え新しい技術を開発し採用した。バルーン工法と呼ばれていた一般的な2×4工法は、一・二階を通し柱で作る工法であったため、構造材が腐食菌に痛められることのない耐久的な建築とされていたが、火災には構造材の間の空間を火災が走るため、火災には弱い構造とされていた。第2次世界大戦が終わり、終戦を待ちわびていた人たちの結婚ブームによって住宅建設が一挙に拡大し、そのような住宅建材が高騰し、材料の供給不足と建設労働力の不足によって住宅の建設コストは急騰した。そこでレービットは市場にだぶついている構造用合板を2×4工法の床と壁の面材に使う方法を考えた。

当時の2×4工法は西部の地震地帯に安全であるようにブレースド・バルーン工法に改良され、占領下に日本にも米軍の住宅のために持ち込まれていた。そのときの壁材は3インチ幅の板材(筋違)が斜めに釘打ちされていた。4フィート×8フィートの基準で作られた鉄板に代用される仮設道路面材は、当時の2×4工法の天井高さ9フィートよりやや短い寸法であったが、そのまま床および壁の面材に使われた。4フィート×8フィートの耐水性構造合板は、元もと米国の農務省林業試験所(フォレスト・ラボラトリー)が開発した材料であった。その合板をブレースドバルーンの斜め張りする板材に代えて利用することを考えた。ウイリアム・レービットは全米ホームビルダー協会の建築研究所(BRI)と林業試験所(FL)と協力し、2×4工法の構造壁の面材として合板を使う技術革新を行なった。

その結果生まれた工法は、軸組み構造ではなく、2インチ×4インチの壁材の枠材に合板を釘打ちするダイアフラム(平板構造)としての壁材と2インチ×8インチ又は10インチの床材の枠材に合板を釘打ちする壁材で構成される構造になった。幅4フィートの合板を横に2枚重ねて、壁材と床材とを「不正定次数の高い」ダイアフラム(平面版)を形成した。その横張合板の間に隙間を開けることで壁体内に新鮮空気を導入させることで、嫌気性菌の活動を押さえ壁の耐久性の確保を図ることされた。

この各階ごとに構造的に区切られた工法は、ダイアフラム(平面版)構造の「ウッド・プラットフォーム・フレーム工法」と名付けられた。終戦で仮設道路建設利用価値を失った合板を使って、施工手間の少ない高い生産性を挙げられる工法としてウイリアム・レービットによりレービット工法として一挙に全米に広く利用された。

既に各階を分離するプラットフォームの形成により壁内の空間は階ごとに分断された結果、火災の階を跨る垂直方向の拡大速度は著しく制限させられた。さらに、各部屋を間仕切る壁を人びとが火気を使う屋内側の面材に不燃材料を利用することにすれば、防耐火区画(ファイアー・コンパートメント)を水平方向にも形成することが出来る。防耐火区画で建築物内の火災荷重を分割管理することが出来れば、火災はその防火区画単位に食い止めることが可能になる。防耐火区画を使って火災成長を食い止めることが出来、建築構造の如何に拘らず有効な防火建築を造ることが出来るようになった。そのファイアー・コンパートメントによって建築火災を制御できる理論は、カナダの建築基準法(1958年版)に纏められていた技術が、1960年にセントローレンス・バーンズにより、防・耐火性能とか再避難安全性能が証明された。

米国では火災保険産業が保険料率の引き下げになると反対し、10年近く抵抗したが、1972年米国内での合意形成によりUBC(ユニフォーム・ビルディング・コード)において防火区画(ファイアーゾーニング)の規定が採用され、防火地域(ファイアーゾーニング)の規定は削除された。

わが国の場合、敗戦を迎える前から世界中から集められる情報を使って敗戦後の日本の復興をどうするかの議論が戦災復興の議論として行われた。また、具体的な住宅政策や都市政策として、内務省は英国をいろいろな形で住宅政策や都市政策のモデルとした取り組みが行われた。英国の公営住宅法制度に倣ってわが国の公営住宅法制度が作られ、英国の住宅行政で実施されたように実施するため、英国政府が刊行していたハウジングマニュアルを翻訳し「住宅要覧」として出版、住宅行政の参考資料とした。

わが国は英国のニュータウン政策に憧れて、英国の最初のハーロー・ニュータウンに倣ったニュータウンをわが国に建設しよう考えた。そして、政府の職員を英国に派遣し、そこでニュータウンづくりの理論と計画技法の技術移転をし、日本でニュータウン開発を実施することを考えた。大阪の千里丘陵にハーロー・ニュータウンと同様な都市開発の土地を購入し、千里ニュータウン建設をするとともに、東京大学や京都大学の住宅・都市関係研究者。技術者を英国に派遣し、そこで英国のニュータウンの計画技法を学び、帰国した研究者が英国で学んだ「近隣住区論」をわが国の大学で学生たちに教育した。戦後の住宅・都市行政や都市開発を担わせることを考えたが、住宅地経営理論は受け入れず、物まねに終わってしまった。

(NPO法人住宅生産性研究会理事長戸谷英世)

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